原创日文俳句选 松尾芭蕉 日文俳句

-----爬山虎是南开大学1992年创刊的日文俳句刊物,是由日本专家伊藤敏先生主办。当时我在日本求学,韩立红老师经我同意后,将我的几首俳句旧作,陆续发表在上边。点评也是由日本专家伊藤敏先生进行的。

(原文)

薪を割る 音も響くや 冬籠

松涛

冬籠は日本の雪国にとっては貴重な季題である。

シンシンと音なく積もる雪のはるかしたに人の住む部屋がある。

三メートルも四メートルも積もるからだ。

中国の冬籠はどんなのだろうか。

寒い冬の朝か夕べか、暖房の薪を割る甲高い音がカーンと乾いた冷空を突き破っていく。

かなり手馴れた句である。

(译文)

猫冬日

劈薪备柴声

声声动梁尘

猫冬,在日本的雪国是非常重要的表示季节的用语。

在雪花悄然而落的尽处是人居的房屋,积雪的厚度可达3-4米。不知中国的猫冬是何种情形---在严冬的早晨或是傍晚,为取暖而劈柴的声音铿锵,音波破寒冷的天空而去。。。。

----是一首相当老练的俳句。

(原文)

雪の日は 炭火かこみつ 言葉なし

松涛

日本の一九五〇年代頃までを想わせる極めて日本的な俳句である。

日本では、囲炉裏や火鉢に炭を入れて暖をとった。

「枕の草子」にもある通りである。

中国ではどのような形で暖をとるのだろうか。

よく玄関先に穴のあいた練炭の灰がそのままの形で捨てられていたり、タドン(炭団)などの燃えかすもあるようだ。

どれにしても、この句に潜む意味は深い。

「言葉なし」をかみしめて見る必要があろう。

季語は「炭火」である。

すると「雪の日」をもうすこし料理してみてはどうだろうか。

(译文)

飘雪日

围坐火盆边

家人默对无片言

这首俳句很有日本式的风格,使人联想到50年代的日本。在日本通常是靠围炉或火盆取暖的。《枕草子》中就有相关的描写。中国是如何取暖的呢?在民居的门口好像常蜂窝煤的灰烬或是没求的炉渣。

总之,这首俳句所蕴含的意义是深远的。

“无片言”值得玩味。

“火盆”是代表季节的用语,那么,“飘雪日”是否还可以斟酌呢?

(原文)

雪の日の 看護婦の目の 黒さかな

                      松涛

最初句意が理解できなかった。

そういう意味で稍々主観的な俳句ともいえる。

もともと文芸とは、主観的発想の具現化に他ならないが、すべてが主観に過ぎると理解できなくなる。

つまり、一人よがりになり兼ねないからだ。

看護婦の服も白、雪も白、その中に黒い瞳だけがきらきらと光って見える。

病人にとってそれが異称に見えたのか、新鮮に見えたのか。

その心境までは読み取れないが、視点がユニークである。

普通ならやり過ごす一瞬の風景を見事フォーカスにおさめた。

(译文)

雪花飘然天地白

独见护士双眸黑灿灿

开始没有理解这首俳句的意思。

从这个角度说,这首俳句稍微主观了些。

本来文艺就是把主观的想象具像化的过程,但内容过于主观,就会使人难以理解。

即,容易进入孤芳自赏的境地。

护士的衣服是白色的、雪是白色的、在这样的环境里,只有黑色的瞳孔熠熠生辉。

不知道在病人的眼里,这情景是异常的,还是新鲜的。

无法读透那内心的境界,但视点独特。

作者巧妙地扑捉到了人们通常忽略的瞬间风景。

(原文)

雪道の 牛ののろさや 鶏も二羽

松涛

原作をすこし添削した。しかし句意は あまり変わらないと思う。

この句は、はるか遠くの風景が、超望遠鏡のレンズの中に映されているのに似ている。

何故か、超望遠鏡になると物体と物体の距離感がなくなるからだ。

この句の場合、牛と鶏との距離感がどうしても浮き出てこない。

視点が二分されたからではないか。

しかし、見事な風景を捉えている。

風景よりも、この句から発する人間と動物との生活の匂いである。

これが中国的俳句の原点になるのかも知れない。

中国人には、中国の俳句を作ってもらいたいと思っている。

(译文)

雪道上

黄牛款款行路迟

柴鸡有两只

对原作稍微进行了修改,但句意应该没有变化。

这首俳句仿佛是通过高倍望远镜观察遥远的风景。

为什么这么说呢?因为没有了物体和物体之间的距离感。

在这首俳句里,怎么也找不到牛和鸡之间的距离感。可能是由于视点分成了两个部分。但,巧妙地扑捉到了风景。

更重要的是这首俳句所散发出的人与动物之间的生活气息。

这也许能成为中国俳句的原点。

我希望中国人写中国风格的俳句。

(原文)

雪の夜の はがきの香り 寂しけり

                      松涛

限りなく連想の広がる句である。

「はがきの香り 寂しけり」、これは如何ようにも解釈できる暗喩ともとられる。

香りのついた年賀状なのであろうか。

それは、今自分のそばから離れた人からのものなのであろうか。

「寂しけり」がまた深遠である。

不可解ながらも、妖しい魅力に富んだ句といえよう。

しかし、こうした句はややもすると主観的、一人よがりの句になりやすい。

(译文)

风雪夜

贺卡清香偏扑鼻

此心何枯寂

这是一首使人联想无穷的俳句。

“贺卡清香偏扑鼻,此心何枯寂”,这是如何理解都无妨的暗喻。

也许是指喷了香水的贺年卡吧。也许是从离开自己身边的人那里寄来的吧。

“此心何枯寂”,意境深远。

虽然不可思议,却富于隐晦的魅力。

但这种俳句,稍不留意就会失之主观,容易成为独自欣赏的境地。

(原文)

隣部屋 雪野へひびく 長い咳

                    松涛

これはプロ並みの秀句である。

結句の「長い咳」の持つ余情は限りない。

生活というもの、生命というもの、人間というもののもつすべての姿が凝集されている。

それを、「雪野」という舞台の前で詠ってみせた。

並みの技法ではない。

「咳」とは何か。

単純な咳から、命の存亡を暗示するような咳まである。

(译文)

隔壁长长的咳嗽

声声回荡在雪原

这首是不逊于专业水平的佳句。

结尾的“长长的咳嗽”余韵无穷。

这里浓缩了生活本身、生命本身、人本身具有的一切状态。并以“雪原”为舞台,进行吟咏。

原创日文俳句选 松尾芭蕉 日文俳句

技法很高超。

“咳声”代表着什么?

从单纯的咳声,到暗示生命存亡的咳声。。。。。

  

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